• Hiroyuki Fukuhara

Bloom Touch飛猫の叡智の海を潜る


小さな喫茶店を営むものとして、日本の喫茶文化の祖とあおがれる”売茶翁”の存在に深く惹かれています。

江戸時代中期、1675年に肥前国佐賀藩に生まれた売茶翁(柴山元昭)。幼名は菊泉。11歳で龍津寺住職の化霖道龍について得度し、月海元昭と称す。22歳の時、日本各地の禅寺への行脚に旅立つ。33歳で龍津寺に戻り、厳しい修行を続けながら寺務にたずさわる。50歳の時、一生を雲水のように行乞流浪する意思を持って龍津寺を去り関西に旅立つ。以後の10年間を各地を放浪しながら漂泊の僧として暮らす。60歳の時、京都の鴨川辺に移り住み、茶店「通仙亭」を営む。この頃より「売茶翁」の号をもちいる。京の景勝地に茶道具を担いで自在に茶店をもうけ煎茶を売り、茶代を飲むものにゆだね、茶禅一味の宗風を開いて、伊藤若沖や池大雅ら当時の人々を魅了する。齢70をこえて還俗し、「高遊外」という居士号を名乗る。89歳で示寂。

18世紀の日本でその因習を飛び越えて”精神の自由”を求めた風狂の禅僧、売茶翁に最大級のリスペクトをこめて。

『  

      茶銭は黄金百鎰より半分銭まではくれ次第。

      ただのみも勝手。ただよりはもけもうさず。

 「題銭筒」

   随所開茶店       随所に茶店を開く。

   一鐘是一銭       一鐘、是れ一銭。

   生涯唯箇裏       生涯、唯だ箇裏。  (私の生命は、この銭筒の中にある)

   飢飽任天然       飢飽、天然に任す。 (飢えるのも、満腹になるのも、

                          すべて自然まかせだ) 

 「卜居三首」

   錫を移して、今朝市てんに入り、

   紅塵堆裏、塵録を絶す。

   鴨川清き処、衣鉢を洗えば、

   名月波心、影自ずから円なり。

   擾擾たる市てん、この身を寓す。

   一条の痩杖、弧貧に伴う。

   閙中用い得たり、静中の趣き。

   随所、縁に任せて立処に真なり。

   自ら笑う、東西漂泊の客。

   是れ吾れ、四海即ち家と為す。

   旧時の交友、如し相い問わば、

   第二橋辺、水涯に舎す。

    <訳>

      住むところを移して、今朝、京の都のなかに入った。

      俗塵が積もっている場所の真っ只中であっても、俗の汚れとは縁がない。

      鴨川の清流で衣や鉢を洗っていると、

      自然に、すばらしい月が川の波間に円相を描いている。

      がやがやとうるさい市街にこの身をしばらく寄せる。

      一本のやせ細った杖だけが、孤独で貧乏な私にとっての友である。

      騒がしいところにあってこそ、静寂の趣きが味わえる。

      ご縁に任せて、今自分が居る場所こそが、これみな真実である。

      われながら可笑しいが、この日本各地をあちこち漂泊している私。

      だからこそ、私は天下をそのまま自分の家にしているのだ。

      旧友が、もし私がそこにいるかと尋ねるならば、

      伏見街道の第二橋の水辺に仮住まいをしていると言ってほしい。

 「売茶口占十二首」

   将に謂えり、宗を伝えて祖風を振わんと。

   却って、箇の売茶の翁と作るに堪えたり。

   都来、栄辱また何ぞ管せん。

   茶銭を収捨して、我が窮を賑わす。

   茶亭新たに啓く、鴨河の浜。

   座客悠然、主賓を忘る。

   一わんとみに醒む、長夜の睡り。

   覚来知んぬ、是れ旧時の人。

   頻りに「喫茶(去)」と喚んで、趙州に効う。

   千年の滞貨、人に求むる没し。

   若し、能く一口に喫過し去らば、

   万劫の渇心、直下に休せん。

    <訳>

      禅の祖師たちの教えを伝え、大いにそれを興そうと思っていたのだが、

      結局はこの茶を売る翁となってしまった。

      しかし、名誉も屈辱も、一人の私には一切関係ない。

      ただ茶を売り小銭を集めると、困窮して暮らす私の気持ちが明るくなるのだ。

      私は鴨川の岸辺に新しく茶店を開いたのだが、

      そこに座る客は悠然としていて、どちらが主人か客か忘れてしまう。

      茶を一杯飲むと、たちまちに長い夜の迷妄から醒め、

      眠りから醒めてみると、以前の自分とまったく違わない自分を知った。

      趙州和尚に習って、頻繁に「喫茶去!(お茶を飲みませんか)」と呼んでも、

      売れ残っている大量の茶を求める人はいない。

      もしそのお茶を一口に飲み干し去るならば、

      永い心の渇望は、ただちにおさまってしまうであろう。

  「偶作三首」

    僧に非ず、道に非ず、又儒に非ず。

    黒面、白しゅ、窮禿奴。

    孰れか請う、金城、まいろう周しと。

    乾坤、都て是れ、一茶壷。

    かん歳、親を辞して、世栄を謝し、

    しゅ齢、姓を立して、僧名を遁る。

    此の身、笑うに堪えたり、蝙蝠と同じきことを。

    旧に依って、売茶の一老生。

    祖道、功無くして古稀になんなんとす。

    風狂、髪を被って緇衣を脱す。

    世間、出世、放過し去って、

    唯だ此の売茶、餓をすくうに足れり。

    <訳>

      私は仏僧でも、道教の徒でも、また儒学の徒でもない。

      白髪で浅黒い顔の貧乏な老人だ。

      人は京都で茶を売って歩き回っていると言っているだろうが、

      宇宙すべてがこの茶壷一つに納まるのだ。

      幼歳の頃、親元に暇をこうて、世間の栄誉を求めるのをやめ、

      老年になって姓を名のり、僧の名を捨ててしまった。

      この我が身は、鳥か獣か分からない蝙蝠にも似ていて、

     (これでは)笑いをこらえられないではないか。

      もとより、相変わらずの茶売りの一老人のままである。

      仏祖の道を高く掲げる功績もなく、まさに古稀になろうとしている。

      風狂よろしく、ざんばら髪で、黒衣も脱いでしまった。

      世の中や出家のあり方も放り出して、

      ただこの茶を売ることだけが(私の)飢えを救ってくれる。

  「夢中作」

  困去窮来無一文        困じ去り、窮じ来たり、一物無し。

  清貧瀟灑淡生涯        清貧、瀟灑、淡生涯。

  唯余半夜寒窓月        唯だ半夜、寒窓の月を余して、

  一片禅心相照帰        一片の禅心、相照らして帰る。

         <訳> 困り窮まって一物もない。

             さっぱりしていて淡い清貧の生涯である。

             あるのはただ、寒い夜空の外から窓に入る、余すほどの月光。

             一かけらの禅心を照らして、西に帰って行く。

  「自警偈」

    夢幻の生涯、夢幻の居。

    幻化を了知すれば、親疎を絶す。

    栄を貪れば、万乗も猶お足ることこと無く、

    歩を退けば、一瓢も還って余り有り。

    心頭に無事なれば、情、自ずから寂に、

    事情に無心なれば、境、都て如なり。

    吾儕、苟くもこの意を体することを得ば、

    郭落たる胸襟、太虚に同じ。

      <訳>

        夢幻の生涯、ゆめまぼろしの居住地、

        すべてが夢幻であると覚知したときに、親しさや疎さの別がなくなる。

        栄誉名誉の欲があると、地位ができても満足することがなく、

        一歩退いてみれば、瓢箪一つの水でもかえって十分すぎる。

        心に事なければ、動揺する情も自然に静寂なり、

        事において無心になるので、環境すべてが真如となる。

        私どもがもしこのことの意味を体得できたならば、

        さっぱりと付き物が落ちた胸中は、あたかも太虚のようである。

                                         』

             「売茶翁の生涯」   ノーマン・ワデル 著 

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